仏教伝来から奈良時代まで
聖徳太子のころ、遣隋使によって日本に伝えられた仏教は、当時の中国でさかんだった「どのお経が、お釈迦さまの教えを正しく伝えているのか」を探りだすものでした。そして、よりどころとするお経のちがいから、さまざまな宗派に分かれていました。
奈良時代に入ると、仏教によって国を守るという考えがおこり、東大寺や興福寺など、大きなお寺が次々と建てられました。そこでは、仏教の教えや経典を、学問として学んでいました。また、修行したお坊さんには不思議な力が宿ると信じられ、祈祷(きとう)などが盛んに行われました。この時代の仏教は、研究するお経によって宗派が六つに分かれており、南都六宗と呼ばれました。その中の一つ、律宗が鑑真(がんじん)によって伝えられたことは有名です。
天台宗と真言宗
平安時代になると、遣唐使によって中国の最新の仏教が日本に伝えられました。なかでも、最澄(さいちょう)の「天台宗」と空海(くうかい)の「真言宗」は、のちの日本仏教に大きな影響を与えました。
最澄は京都の比叡山に延暦寺を建て、天台宗をひろめました。天台宗は、「法華経(ほけきょう)」というお経の教えを中心にしています。その教えとは、「仏教を理解できない人でも、やさしく教えを説き、救うことによってさとりを得ることができる。」というものでした。それまでの仏教が、学問のある、一部の人々のものでしかなかったのが、最澄は、どんな人でも救われる可能性があるのだと説いたのです。
一方、空海が伝えた真言宗は、「密教」を中心とするものでした。密教では「大日如来」の教えを実践することが大切だと説きます。自分が大日如来になりきって修行することで、そのまま「ほとけ」となることができるというのです。お経が人々に分かりやすく教えているのに対して、ほとけの体や言葉、心になりきることは「明らかにすることはできない」ことであるから「秘密の教え(密教)」といわれています。
浄土宗と浄土真宗
平安時代も後期になると、末法思想が人々に広がりました。末法思想とは、お釈迦さまの教えが時代とともにすたれ、世の中が乱れるというものです。ときは源平合戦の真っ最中。戦乱の中で、人々は不安な日々を送っていました。そんななか、浄土宗が生まれたのです。
浄土宗は、法然(ほうねん)が開いた宗派です。教えは分かりやすく、「南無阿弥陀仏」と唱えれば阿弥陀如来の力で救われる、というものです。それまでの仏教は難しい経典を読んだり、きびしい修行をしなければならなかったので、身分の高い人や僧だけに広がっていたのが、浄土宗によって民衆にも開かれるようになりました。
法然が「阿弥陀如来の力に頼りなさい」と説いたのは、どんな人間にもその力には限界があると考えたからです。若いころから経典を読みこんだ法然が、三十年におよぶ修行のすえ出した結論でした。ちなみに、それまで修行の脇役でしかなかった「念仏」を主役にしたのは、法然が最初です。
法然の浄土宗を、自分なりに解釈したのが浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)でした。師匠の法然が、阿弥陀仏を信じて「念仏をとなえる」ことを説いたのに対し、親鸞は「阿弥陀仏を信じる心があれば、それだけで救われる」というものでした。さらに親鸞は、出家しなくても等しく阿弥陀如来によって救われると説き、自らも家庭を持ったり、肉を食べたりして、いわゆる「在家仏教」を実践しました。
浄土宗や浄土真宗などは、阿弥陀如来の力を借りて救われよう、ということから「他力本願」の教えといわれます。これは、自分は何もしないで阿弥陀さまにすがるということではなく、「自分のできる限りのことをして、どうしてもできないことを阿弥陀如来にすがろう」というものです。自分の無力さを自覚することから信心がさだまるという考えから生まれました。
臨済宗と曹洞宗
法然の開いた浄土宗が、一般の民衆に受け入れられていたころ、栄西(えいさい)が中国から伝えた臨済宗が、武士を中心に広まっていました。ただ、栄西の伝えたものは禅だけでなく、天台宗や密教の教えもあったので、正式に臨済宗が伝えられたのは、のちに中国から直接来日した禅僧たちによってです。
臨済宗の教えは、「自分をぬきにしてさとりを得ることはできない」というものです。なにかよそに「ありがたいもの」があると思って、かんじんの自分を見失ってはならないということです。「自分を知る」ことは、簡単なようでなかなか難しいものです。たとえ分かっているつもりでも、それは自分の一面でしかありません。そういう「自分の中にある、自分でも気づかない本当の自分」に気づくことが、臨済宗の教えの根本にあります。
鎌倉時代に日本に伝えられた、もう一つの禅宗である曹洞宗(そうとうしゅう)は、道元(どうげん)によって伝えられました。道元は、単純に中国の曹洞宗を伝えたのではなく、お釈迦さまからつづく「正しい教え」を伝えようとしました。
曹洞宗の教えは、余計なことを考えずに、ひたすら坐禅をすれば、その姿がそのまま「ほとけ」の姿になる、というものです。道元は、さとりを得ることも「雑念」と考えました。その深い考えは『正法眼蔵』という書に記されています。
臨済宗や曹洞宗などの禅宗では、日常の生活のすべてが修行であると考えられており、坐禅だけでなく、そうじや草取りなども重んじています。臨済宗と曹洞宗のちがいは、坐禅に対する考え方のちがいです。臨済宗では「公案」という、いわゆる禅問答によって「本当の自分」を見つけるために坐禅をするのに対して、曹洞宗では、坐禅をしているその人自身が、すでに「本当の自分」であると考えているのです。
日蓮宗
鎌倉時代には、日蓮(にちれん)によって日蓮宗が生まれました。日蓮宗は「法華経」をよりどころとしています。日蓮は「法華経」こそが末法の世を救う経典だと考えました。そして、「法華経」の中の「ほとけ」を信じ、「南無妙法蓮華経」ととなえ、よい行いをつみかさねれば救われると説きました。
日蓮は「法華経」によって、個人だけでなく、国や社会も救われると考えました。「法華経」を最高の経典と知り、その教えを実践し、「南無妙法蓮華経」と題目をとなえることで、当時の末法(まっぽう)の時代に生きる人々の不安を取りのぞこうとしたのです。