お経とは
お経は、お釈迦さまが自分で書いたものではなく、お釈迦さまが亡くなった後で、弟子たちがそれぞれ聞き伝えられたものをまとめたものです。それまで、口で直接伝えられていた教えを、このままでは記憶違いや、間違った解釈をしてしまうかもしれないので、弟子たちが集まって書き残したのです。「如是我聞(にょぜがもん)」=「私はこのように聞きました」というのがお経です。
お経の数は、研究者であっても正確な数が分からないほどあります。まだ、発見されていないお経もあるかもしれません。お経が、お釈迦さまという1人の人間から生まれた言葉なら、なぜ多くのお経があるのでしょうか。それは、お釈迦さまがさまざまな人々の悩みに答えた記録がお経だからです。「この人にはどのように話せば伝わるだろうか。」ということから、たとえ話などのいろいろな表現をした結果、多くのお経が生まれました。
お経の分かりづらさの理由の1つに、漢字ばかりで書かれていることがあります。これは、もともとお釈迦さまの言葉を伝えたお経は「インドの言葉」で書かれていましたが、仏教がインドから中国に伝わり、中国のお坊さんがお経を漢字に翻訳したので、お経は漢字で書かれているのです。
しかし、すべてのお経がインドで生まれたものではありません。なかには、中国や日本で仏教を理解するために作られたお経もあります。お盆の由来となった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経は、中国で作られたものです。
日本で生まれたお経は、浄土真宗の親鸞上人の「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」や、江戸時代の臨済宗の禅僧、白隠禅師(はくいんぜんじ)の「白隠禅師坐禅和讃」、曹洞宗で明治時代に成立した「修証義(しゅしょうぎ)」などがあります。これらのお経は、お釈迦さまの言葉そのものではありませんが、日本人の感覚を通して、仏教を分かりやすく伝える役割を果たしてきました。
お釈迦さまは、35歳でさとりを開き、80歳で亡くなるまでの45年の間、弟子や一般の人々に教えを説きました。お経というと、日本ではお葬式や法事のイメージが強いので、「亡くなった人のためのもの」のように思われがちですが、そうではありません。生きている人へのメッセージがお経なのです。仏教は、人がいかに生きるかを考えるためのものですから、お経から学ぶこともあるかもしれません。