修正会 1月1日~3日
修正会(しゅしょうえ)は元旦から3日間にわたって行われます(例外もあります)。年のはじめに、みずから仏教を守り、正しく生きていくことを誓うものです。宗派を問わず行われますが、臨済宗では主に「大般若会(だいはんにゃえ)」が行われます。
大般若会の歴史は古く、奈良時代、聖武天皇のころまでさかのぼります。その当時は、おもに国を守るための儀式でしたが、しだいに人々の家内安全や世界平和を祈るものになりました。
全部で600巻もある「大般若波羅蜜多経」というお経を、数人の僧侶によって「転読(てんどく)」します。「転読」とは、書かれてあるお経を、始めから最後まで読むのではなく、経典を左右にひろげ、「陀羅尼(だらに)」という呪文のようなものをとなえることで、全部を読んだことにするというものです。
臨済忌 1月10日
1月10日は、中国で臨済宗を開いた臨済義玄禅師が亡くなられた日です。日本には、鎌倉時代に栄西禅師たちによって伝えられました。臨済禅師の教えは、禅師の説法や行動をまとめた『臨済録』という本に記されています。臨済忌(りんざいき)は、臨済禅師の教えである「人はどう生きるべきか、きょろきょろしないで自分で考えよ」を実践し、その徳に感謝する日です。
百丈忌 1月17日
1月17日の百丈忌(ひゃくじょうき)は、禅の修行の中で必要になった規則をつくった百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師の亡くなられた日です。一度出家したら同じ決まりのもとで生活しなければならない、という禅師のきびしい心に感謝する日です。ちなみに、「一日なさざれば一日食らわず」とは百丈禅師の言葉です。
涅槃会 2月15日
2月15日は、お釈迦さまの亡くなられた日だといわれています。お釈迦さまは80歳のとき、説法の旅先で倒れました。お釈迦さまの臨終のようすは「涅槃図(ねはんず)」に伝えられています。「涅槃(ねはん)」とは、もともと「煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態」をさす言葉で、お釈迦さまの死がやすらかな状態であったことから、その死を「涅槃に入る」と表現しました。この日は、各地でお釈迦さまの一生をしのび、感謝する「涅槃会(ねはんえ)」という法要が行われています。
彼岸会 春:3月下旬 秋:9月下旬
「お彼岸(ひがん)」は春と秋の年2回ありますが、それぞれ春分の日と秋分の日を「お中日(ちゅうにち)」とする前後3日間を合わせた1週間をいいます。この時期については、いろいろな説がありますが、春分の日や秋分の日は昼と夜の長さが同じであることから、お釈迦さまの説いた「中道の教え」に通じると考えられたともいいます。また、春は収穫を願い、秋は収穫に感謝するお祭りと結びついたのだとする説もあります。
「中道の教え」とは、かたよったものの見方をやめることで、ありのままの姿が見えてくることの大切さを説いたものです。お釈迦さまは自身の経験から、王子のときのぜいたくな暮らしや城を出て命にかかわるほどのきびしい苦行は、どちらも極端なものであり、バランスよく生きることの大切さを知りました。
お彼岸は正式には「彼岸会(ひがんえ)」といい、インドや中国にはない、日本だけの仏教行事です。聖徳太子のころにはじまり、江戸時代に民間信仰として全国にひろがりました。「彼岸」とは悩みや迷いのない世界のことで、これに対して私たちの煩悩(ぼんのう)の世界を「此岸(しがん)」といいます。
彼岸会は、浄土宗系にはじまり、現在では宗派をこえて行われています。ところで、「お彼岸」と聞いて「ご先祖さまのお墓参りをする1週間」と答える方が多いと思います。しかし、本来は「仏教を実践する週間」をいいます。お墓参りは、その一面にすぎません。では、何を実践するのかといえば、つぎの6つです。
(1)布施(ふせ)……施しあう心をもつこと
(2)持戒(じかい)……自分を戒めること
(3)忍辱(にんにく)……苦しみに耐えること
(4)精進(しょうじん)……正しい努力をすること
(5)禅定(ぜんじょう)……心を落ちつけること
(6)智慧(ちえ)……物事を正しく判断すること
灌仏会 4月8日
4月8日は、お釈迦さまの誕生日で「花まつり」ともいいます。右手で天を指し、左手は地を指している「誕生仏(たんじょうぶつ)」に甘茶をかけることはよく知られています。お釈迦さまが生まれたときに、7歩歩いて「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」と言ったという伝説がありますが、これは自分だけが偉いのだということではなく、「この世界に生まれてきたことは、このままで尊い。」ということです。人は、自分の力だけで生まれてくることはできません。与えられた命の尊さに気づくことが「灌仏会(かんぶつえ)」という行事なのです。
盂蘭盆会 8月15日(または7月15日)
お彼岸とならんで、日本人に最も身近な仏教行事である「お盆」は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。昔のインドの言葉の「ウランバナ」を音訳したもので、「さかさまにつるされる苦しみ」を意味します。地域によって7月だったり8月だったりします。
お盆の由来については「盂蘭盆経」に書かれています。お釈迦さまの弟子に目連(もくれん)さまという人がいました。目連さまには、どんなことも見通してしまう力がありました。ある日、この力を使って、目連さまは、自分の亡くなった母親がどうしているかを見ました。すると、驚くことに母親は地獄にある「餓鬼道(がきどう)」に落ちています。餓鬼道とは、食べることも水を飲むこともできない苦しみの世界です。
目連さまは母親を助けようと、お釈迦さまに相談します。お釈迦さまは、「もうすぐ7月15日がくる。この日は、修行を終えた僧たちが修行の反省をする日で、心も体も清らかになった修行僧たちに食べ物などを供養(くよう)すれば、その功徳(くどく)によって、お前の母親はもちろん、ご先祖さまや他の餓鬼道に落ちた人々も救うことができるだろう。」と説きました。目連さまはこの教えにしたがって、母親を救うことができたということがお経に書かれていることです。
「盂蘭盆経」はもちろん実話ではありません。しかし、その教えに説かれていることは、「ご先祖さまへの感謝」です。自分がいまここにいることを感謝して、ご先祖さまを苦しみから救うことがお盆の供養です。そして、ご先祖さまへの感謝は、生きている両親への感謝にもつながります。さらに、お盆の供養は、自分の先祖や親だけでなく、すべての人々を救いたいという心が大切であることを教えています。
ところで、餓鬼道は地獄の次に苦しい世界とされています。目連さまの母親は、なぜ餓鬼道にいたのでしょうか?じつは、目連さまの母親は決して悪人ではなかったのです。それどころか、目連さまにとって、とても優しい母親でした。しかし、目連さまの家はとても貧しく、家族も多かったので、母親は自分の子供だけで精一杯で、他人のことを考える余裕もありませんでした。ですから、あるとき家に飢えた人がやってきても、ものすごい剣幕で追い返してしまったのです。この結果、目連さまの母親は餓鬼道に落ちてしまったのです。はたから見れば、人に施しもしない自分勝手な人間に映ったことでしょう。みなさんは、この母親をどう思われますか。
施餓鬼会 お盆の頃
お盆にともなって行われるものに「施餓鬼会(せがきえ)」というものがあります。これは、飢えに苦しんでいる亡き人に食べ物や水を施そうというもので、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぐばつえんくがきだらにきょう)」という長い名前のお経に由来します。
お釈迦さまの弟子に、阿難(あなん)さまという人がいました。ある夜、阿難さまが一人で修行をしていると、目の前に口から火をはく「餓鬼(がき)」が現れました。餓鬼とは、十分な供養をうけなかったので地獄で苦しむことになってしまった亡き人のことです。餓鬼は阿難さまに言います。「お前の命は、あと3日だ。それがいやなら、われわれ餓鬼のために食べ物などの供養をしてくれ。」
一度にたくさんの施しなどできないと思った阿難さまは、お釈迦さまに相談します。すると、お釈迦さまは「器に少しの食べ物を盛って、陀羅尼(だらに:呪文のようなもの)をとなえれば、その食べ物はつきることなく、すべての餓鬼に施すことができるだろう。」と説きました。これによって阿難さまは命を保つことができた、というのがお経の内容です。
宗派によって違いますが、一般に施餓鬼会では、施餓鬼棚に「三界万霊(さんがいばんれい:あらゆる御霊のこと」の位牌を立て、海や山の食べ物をおそなえし、米や水をささげる法要を行います。
地蔵盆 8月24日(または7月24日)
毎月24日はお地蔵さまの「縁日(えんにち)」ですが、とくにお盆の月(7月か8月)の24日は「地蔵盆(じぞうぼん)」といいます。
仏教では、お地蔵さまは地獄に落ちる人を救ったり、幼くして亡くなってしまった子供を地獄の鬼たちから守るものとして信仰されています。そのため、この日に各地では、子供にちなんだ行事が行われたりします。
達磨忌 10月5日
10月5日は、禅をインドから中国に伝えた達磨(だるま)大師が亡くなられた日といわれています。達磨大師は中国にわたり、梁(りょう)の武帝と問答をします。武帝が「私は寺を建て、仏教を保護し、自分でも仏教を信じている。どれだけの功徳(くどく)があるだろうか。」と尋ねたところ、達磨大師は「功徳などないわ。」と言いはなちました。ここに禅の精神があります。
ちなみに、あの置き物のダルマは、達磨大師が9年間、壁に向かって坐禅をしたという故事からつくられたといわれています。
成道会 12月8日
お釈迦さまがさとりを開いたのが、12月8日の明け方といわれていることから、この日に行われる法会を「成道会(じょうどうえ)」といいます。6年間の苦行をすて、ピッパラ(菩提樹)の木の下で坐禅をして、自分もふくめて、この世の生きとし生けるものには何らかの役割があることに、お釈迦さまは気づきました。「あれがなければ、これがない」という命のつながりの教えは、その後のお釈迦さまの説法に伝えられています。
禅宗の修行道場では、お釈迦さまにあやかって12月1日から8日まで「臘八接心(ろうはつせっしん)」と呼ばれるきびしい修行をします。