写 経

1.はじめに

 奈良時代、日本は「遣唐使」という人々によって、唐(現在の中国)と文化の交流をしていました。遣唐使は、海をわたって大陸に行きます。遣唐使の中には、役人や留学生のほかに僧侶もいました。お経や仏具を日本に持ち帰るためです。

 当時の航海は、風と潮に頼るだけのものだったので、嵐などで遭難してしまう船も多くありました。人命とともに、中国のお寺で書き写されたお経も失われました。何年もかけて「写経」したのに、あっという間に海の藻屑(もくず)です。

 現代は、書店に行けばお経の本があります。図書館でコピーもできます。それでも写経がなくならないのはなぜでしょうか。


2.写経とは何か

 写経が現代でも続けられている理由については、「集中力をつけるため」、「字が上手になるため」、「心を落ち着かせるため」、などが考えられます。しかし、どのような理由であれ、写経は目に見える形として残るものです。落ち着いた気持ちで書いた字は、丁寧に見えます。落ち着かない気持ちでは、字が粗雑になります。この分かりやすさが写経の魅力の1つでしょう。

 写経は本来、数少ない貴重な教典を学んだり、人々に伝えたりするために、お坊さんたちがお経を書き写していたことに由来します。先ほどの「遣唐使」のように、大変な思いをして持ち帰った経典を、人々は心をこめて書き写しました。

 写経は誰でもできるものです。「字が上手ではないから」とか、「仏教への信仰心は深くないから」という理由で遠慮される方もいますが、問題ありません。習字ではないので「上手な字」は必要ありませんし、写経は自分を見つめるものなので、信仰心とも無関係です。

 一文字、一文字をゆっくり丁寧に書いてみましょう。姿勢を正して、ただひたすらに文字を書き写していくことで、自然に筆にもなれてきますし、お経の意味にも興味がわいてくるかもしれません。


3.用意するもの

― 筆 ―

 「写経用の筆」もありますが、基本的には使いなれた筆があれば、それでよいと思います。ただ、小さい字を書きますから、穂先がやや短く、毛筆の硬いものが書きやすいです。


― すずり ―

 写経では、一般に「般若心経」がよく書かれます。短いお経ですので、それほど多くの墨は必要ありません。ですから、すずりは小さいもので十分だと思います。水の量に注意して墨をすって下さい。あまり水を多くすると、墨をすることに時間がかかり、写経の前に疲れてしまいます。


― 墨 ―

 墨は一般に「和墨(わぼく)」(日本の墨)が良いといわれています。「唐墨(とうぼく)」(中国の墨)は粘り気があるからだというのがその理由ですが、どちらでもかまいません。


― 写経用紙 ―

 写経用紙は、書店の文具コーナーにあるものでよいと思います。そのほか、雑貨店にも写経用紙がある場合があります。また、仏具店には写経用の道具一式がそろっています。

 写経用紙にはお手本がついていますが、写経の書体(文字の種類)に少し違いがあります。「写経体(しゃきょうたい)」と「楷書体(かいしょたい)」の2種類に大きく分けられます。「写経体」は特に写経に使われる文字です。「楷書体」は私たちが普段使っている文字です。

<写経体>

<楷書体>


4.墨をする

 写経において、「墨をする」ということは大切なことです。早く書きたい、という気持ちから墨汁を使う方もいます。墨汁のよさは、乾きが早くて、常に同じ墨の濃さを保つことができることです。

 しかし、墨汁は放っておくと、墨に粘り気が出てしまい、書きづらくなります。写経は「般若心経」でも1時間ほどのまとまった時間がかかるので、やはり墨汁よりも、墨をすって準備したほうがよいと思います。どうしても時間がない、という方には「写経用の墨汁」もあります。

 中国では、山の上に寺院を築いていました。お寺の門を「山門」というのは、そこに由来します。人々は、お寺に参詣するために、けわしい坂や石段をのぼっていくのです。

 墨をするということは、山上のお寺をお参りするために、石段を一段一段のぼっていくことに似ていると思います。寺院にいたる山道(参道)は、人々にとって心を落ち着かせる大切な時間を生みます。

 日ごろの生活を離れて、考える時間を持つことは、人生にとって有意義なことだと思います。目的地に着くことも大事ですが、目的地にいたるまでに考えたこと、経験したことの多さが人生をつくっていくといわれます。写経で大切な時間は、字を書いている時間も、墨をすっている時間も同じです。


5.実際に書いてみる

◎場所を決める

 写経で大切なことは、正しい姿勢で文字を書くということです。ですから机は、背すじを伸ばしたときに、無理のない姿勢でなければなりません。また、正座でなく、いすに座ってする場合でも同じことがいえます。長時間座っても疲れない、無理のない高さの机で行ってください。疲れてくると、写経に集中できなくなり、文字も乱れてしまうからです。机の大きさも大事です。写経用紙は横に長く、すずりを置く空間も必要なので、なるべく横はばの広い机でやりましょう。


◎墨のすり方

 墨をするということは、先ほども説明したように、心を落ち着かせるものです。早くすろうと思って、力を入れてゴシゴシすらないようにしましょう。注意することは、姿勢を正すことと、水の量を少なめにしておくことです。水をすずりの平らなところに円になるように注ぎます。右手の親指と人差し指、中指の3本で墨を持ち、やや手前にかたむけて「の」の字を書くようにすります。


◎筆の持ち方

 鉛筆を持つように、自分のあった持ち方でかまいません。書道では、筆の軸を親指と人差し指で持ち、中指で下からささえますが、写経はとくに正式な筆の持ち方というものはありません。ただし、姿勢には注意してください。背すじが曲がったり、机にひじをついて書いたりしないようにします。筆の持つ位置は、中ほどより少し下のほうを持ちます。筆をなるべく立てて書きます。


6.写経のルール

 写経には、いくつかの決まりごとがあります。「般若心経」を例に説明します。


(1)経題(きょうだい)の「摩訶般若波羅蜜多心経」の前を、1行あけます。(「内題(ないだい)」といいます。)

(2)「内題」は、必ず1行以内におさめます。

(3)本文は、1行に17文字ずつ書いていきます。

(4)本文のあとに、「般若心経」と書きます。(「奥題(おくだい)」といいます。)

(5)「奥題」のあとに1行あけて、「為 先祖供養」「為 大願成就」など、願いごとがあれば書きます。

(6)半分より下に名前を書き、名前のあとに「謹写」などと書きます。(※お手本によって違う場合があります。)

(7)最後に書き終えた日付を書きます。


7.書き間違えたら

 どんなに注意して書き写していても、失敗してしまうことはよくあります。字を間違えてしまったり、文字をぬかしてしまったりすることは、昔の人もよく経験したのでしょう。紙が貴重だった当時、現代のように丸めてポイッ、というような訳にはいきませんでした。

 また、写経は自分を見つめるためにも行われるものなので、間違えることも大切なことなのです。だから、間違いに気づいたらこうしましょう、という方法が決まっているのです。

 もし、誤字や脱字を見つけたら、その部分に小さな点を打っておきます。写経は1行の文字数が決まっていますから、脱字の場合はすぐに分かると思います。ぬいてしまった部分に点を打って、その行の一番下に、そのぬいてしまった文字を書きます。

<字をぬかした場合>
※赤丸は説明のためで実際は書きません。


<字を間違えた場合>
※赤丸は説明のためで実際には書きません。


 誤字の場合も、間違えた文字に点を打って、その行の欄外(上でも下でもよい)に正しい字を書いておきます。

 このように、誤字や脱字にはその対処の方法があります。みなさんも、たとえ字を間違えてしまっても、用紙をすてたり、残りを書き流すようなことはしないようにしてください。


8.あと片づけ

 写経にかぎらず、「あと片づけ」というのはあまり好きな人はいないかもしれません。料理を作るのは好きな人でも、食器洗いは面倒くさいという人もいるでしょう。しかし、写経(書道)の場合、道具の手入れは重要です。


 ●筆の手入れ

 直接、水道で洗わないで、まず墨のついている部分(穂先の3分の1の部分)の墨をおとします。毛筆の全体を洗ってしまうと、のりが取れてしまい、毛がやわらかくなりすぎて書きづらくなってしまうからです。

 新聞紙などに水をたらし、墨のついている部分に少し水をつけ、ティッシュなどやわらかい紙や布で墨をふき取ります。墨が穂先に残ってしまうと、毛をいためてしまう原因になります。ふき取るときは、毛筆を強く引っぱらないようにします。


 ●すずりの手入れ

 残った墨をやわらかい紙で吸い取り、そのあと布でふき取ります。あまりにも汚れがひどいときは、たわしやブラシで洗います。


9.よい字を書こう

 「写経」とは、文字どおり「お経を写す」ことですから、字の上手、下手は問題にしないことは言うまでもありません。しかし、頭で分かっていても、無意識のうちに美しい字を書こうとしてしまいます。

 見栄えのよさにとらわれて、サラサラと書くことは、写経では好ましいものではありません。一文字一文字、一画一画を丁寧に書くことを心がけてください。姿勢を正して、落ち着いた心で筆をとることが写経の精神です。

 作品として展覧会に出展するのでしたら、入賞するために技術的なものも必要でしょう。しかし、写経には優劣の順位はつきません。あえて順位をつけるなら、文字そのものの美しさではなく、写経に対する心がまえにつけられるものです。

 「心がまえ」といっても、大げさなものではありません。墨をすったり、文字を書くときの姿勢や、道具や写経用紙などのあつかいに気をくばることです。ひじをついたまま、ものを書く姿は見苦しいものです。

 「上手な字」は写経を続けていくことで身につくものです。「上手な字」より、「よい字」を書くことのほうが難しいのです。「よい字」とは、書いたその人らしい文字のことです。一休禅師や良寛さんの書が魅力的なのは、なぜでしょうか。


10.お経とは何か

 写経をしてみようという人の中には、「お経の意味が分からなくてもいいのですか」と思う方もいると思います。もちろん、知らないより知っていたほうがいいと思いますが、それは写経を続けているうちに、お経の意味を知りたいと思うようになってからでも遅くはありません。

 お経は、お釈迦さまの言葉を文字にしたものです。お釈迦さまが自分で書いたものではなく、お釈迦さまが亡くなって100年以上たってから、弟子たちが口づたえに残していた教えをまとめたものが「経典」になりました。

 当然、インドの言葉で書かれていましたが、『西遊記』のモデルで有名な玄奘(げんじょう:三蔵法師)やその他の僧侶たちが、インドの経典をそのまま書き写して中国に持ち帰り、漢字に翻訳しました。日本の「お経」が漢字で書かれたものが多いのは、中国で翻訳されたものが伝えられたからです。

 お釈迦さまは、「人間とは何のために生まれてきたのか。なぜ年をとって死ななければならないのか。」といった悩みを解決するため、修行をしてさとりを開いたといわれています。そして、さとった内容を人々に伝えるため、さまざまな表現を用いました。お経の数が多いのは、分かりやすい説法を心がけたお釈迦さまの努力のあとです。

 「般若心経」は、観自在菩薩(観音さま)が、お釈迦さまの弟子の1人「舎利子(しゃりし)」に対して説法をしていくという「物語」のかたちで書かれたお経です。自分勝手なものの見方をしないという「智慧(ちえ)」を身につけることで、世の中のすべてのものは実体のないもの(「空(くう)」といいます)であることに気づき、心おだやかに生きていくことができるようになる、ということが説かれています。

 私たちは、大なり小なり人生に悩むことがあります。お釈迦さまは、この悩みは、それぞれの自分の中から生まれるものだと言いました。自分の思い通りにならないこと、こだわりに執着することから悩むというのです。

 ものごとに執着しないように、この世に絶対だとか、確かなものなど何もないという「空(くう)」の考えに気づき、そのために自分勝手な考え方をすてる「智慧(ちえ)」を実践することの大切さを教えているのです。


11.おわりに

 仏教は、たった1人の人間が、ふと自分の生き方に疑問を持って、悩み苦しむうちに生まれたものです。現代では、宗教といえば集団を相手にしていますが、本来は個人のものなのです。誰でも、何の悩みもなく、すべてを成しとげて生涯を閉じることはできません。嵐を経験しないで、長い航海を続けることはできないのです。

 お経には、お釈迦さま自身の悩みや、出会った人々の悩みを解決するための考えが示されています。お経は、聞くものではなく、よむものです。そして、お経を無理に信じる必要はありません。「お経にはこう書いてあるけれども、私はこう思う。」と感じてみてください。写経を通じて、お経が身近になることでしょう。


 

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